睡眠薬の歴史と進化、現在の治療薬について
不眠は、ずっと昔から人類を悩ませてきました。たとえば、古代メソポタミア神話の「ギルガメッシュ叙事詩」では、主人公のギルガメッシュ王が親友を失った悲しみから不眠に苛まれる姿が描かれています。また日本でも、平安末期の絵巻物「病草紙(やまいのそうし)」に、一晩中眠れずに苦悩する女性の姿がリアルに残されています。
人類は古くから、この不眠を解消するために、さまざまな物質を試みてきました。その代表的なものが、アルコールです。ですがアルコールは、寝付きこそ改善するものの、眠りを浅くしてしまい、繰り返し使ううちに効きにくくなる(耐性)上に、依存の問題もあるため、望ましい睡眠薬とは言えませんでした。19世紀に入ると、抱水クロラールやブロム剤といった薬物が「近代的な睡眠薬」として使われ始めますが、これらも安全域が狭く、長くは主流になりませんでした。睡眠薬が本当の意味で医学的な発展を遂げるのは、20世紀に入ってからのことです。
1.バルビツール酸系睡眠薬
20世紀初頭から使用されるようになりました。それまでの薬剤よりは安全であるとされ、低用量では睡眠薬、高用量では麻酔薬として広く使用されました。しかしながら、耐性や強固な依存性の問題があり、そして、大量に服用した場合は呼吸抑制を起こし、生命に危険がおよぶことがありました。そのため、現在、一般的な不眠症治療に用いられることはなくなっています。
2.ベンゾジアゼピン受容体作動薬
1960年代になると、ベンゾジアゼピン系睡眠薬が登場しました。さらに1980年代末以降には、化学構造はベンゾジアゼピン系とは異なるものの、脳内ではよく似た仕組みで作用する非ベンゾジアゼピン系睡眠薬も使用されるようになりました。両者をまとめてベンゾジアゼピン受容体作動薬と呼ぶことがあります。これらの薬剤は、バルビツール酸系睡眠薬と比べると安全性が格段に向上し、長い間、睡眠薬の中心として使用されてきました。
一方で、眠気の持ち越し、健忘、筋弛緩作用によるふらつきや転倒、認知機能への影響などが問題となり得ます。また、長期間使用すると耐性や依存が生じることがあり、急に中止すると反跳性不眠、すなわち以前より強い不眠が一時的に出現することもあります。現在でも有効性の高い薬剤ですが、特に、高齢者に用いる場合、長期間使用する場合には、これらの点に注意する必要があります。[代表的な薬剤:ゾルピデム、エスゾピクロン、ブロチゾラムなど]
3.メラトニン受容体作動薬
メラトニンは、主に夜間に脳の松果体から分泌されるホルモンで、睡眠と覚醒のリズム、いわゆる「体内時計」の調節に重要な役割を果たしています。2010年に発売されたメラトニン受容体作動薬は、このメラトニンの作用部位に働きかけることで、催眠作用と体内時計の調整作用をもたらします。
筋弛緩や健忘を起こしにくく、依存や反跳性不眠の問題も少ないことが特徴です。安全性の高い薬剤ですが、催眠作用は比較的穏やかです。そのため、強い不眠がある患者さんでは十分な効果が得られないこともあり、ベンゾジアゼピン受容体作動薬を全面的に置き換える薬剤にはなりませんでした。現在では、体内時計のリズムが乱れている方や、高齢者の自然な入眠サポート等で大切な役割を果たしています。[薬剤:ラメルテオン]
4.オレキシン受容体拮抗薬
1998年、覚醒を維持する上で重要な役割を果たす神経ペプチド「オレキシン」が発見されました。その後、オレキシンの働きを抑えることによって睡眠を促す薬剤が開発され、2014年には最初のオレキシン受容体拮抗薬が使用できるようになりました。
従来のバルビツール酸系睡眠薬やベンゾジアゼピン受容体作動薬は、脳の活動を広く抑制することによって眠りをもたらします。これに対し、オレキシン受容体拮抗薬は、「眠らせる」というよりも、覚醒状態を維持するオレキシンの働きを弱めることによって、自然に睡眠へ移行しやすくする薬剤と考えることができます。このように、作用の仕組みが選択的であることから、ベンゾジアゼピン受容体作動薬で問題となっていた筋弛緩作用や依存、耐性などの問題が大幅に軽減されています。効果も十分に期待できるため、現在では、新たに睡眠薬を開始する際の有力な選択肢となっています。[薬剤:スボレキサント、レンボレキサント、ダリドレキサント、ボルノレキサント]
ただし、すべての患者さんにオレキシン受容体拮抗薬が最適というわけではありません。十分な効果が得られない場合もありますし、反対に翌日に眠気が残ってしまうこともあります。また、悪夢や金縛り、頭痛などの副作用がみられることもあります。患者さんによっては、従来のベンゾジアゼピン受容体作動薬のほうが有用な場合もあります。新しい薬だから必ず優れている、というわけではなく、それぞれの患者さんに適した薬剤を選択することが大切です。
また、既にベンゾジアゼピン受容体作動薬を長期間服用されている患者さんについては、急に全量を切り替えると、先ほど述べた反跳性不眠が生じやすいため、併用期間を設けながら時間をかけて慎重に切り替えていく必要があります。
最近のトピックとしては、ボルノレキサントの添付文書における自動車運転の扱いが挙げられます。これまでの睡眠薬は、いずれも添付文書上「運転禁止」とされてきました。一方、ボルノレキサントでは、自動車運転が一律に禁止されているのではなく、患者さんの状態を医師が十分に把握した上で、運転の適否を慎重に判断するという考え方になっています(すなわち「運転注意」)。もちろん、ボルノレキサントを服用していれば誰でも運転してよい、という意味ではなく、翌朝に眠気が残る場合などには、運転を控える必要がありますが、業務上の運転可否(とりわけ通勤)を、添付文書の記載に基づいて判断する事業者が少なくないため、自動車通勤されている患者さんにとっては、睡眠薬を選択する際の重要な差異となる可能性があります。
5.まとめ
こうして振り返ると、睡眠薬の歴史は「効果は保ちつつ、いかに安全に眠っていただくか」を追い求めてきた歴史だとわかります。当院では、こうした薬剤ごとの特性を踏まえた上で、患者さんの生活スタイル(自動車通勤の有無、日中の眠気がどこまで許容できる状況であるかなど)や、これまでの睡眠薬の使用歴を伺いながら、おひとりおひとりに合った薬剤選択をご提案しています。睡眠薬について気になることがあれば、どうぞ診察の際にお気軽に御相談ください。
